
療育~個別療育
発達応援室 みえるの療育
理念〜幸せのための療育 (⼦どもが「みえる」療育)
子ども、保護者、そしてご家族の幸せのための療育を目指します。ご本人が豊かに、ご家族が楽になる暮らしを願い、将来を見越して今できることを共に考えていきます。
30年以上の療育経験により親子や支援者と向き合う中で、適切に関わることで子どもが育つことを実感しました。療育は「工夫と配慮の子育て」です。それは、一人の子どもの自立につながり、本人だけでなく家族も幸せになっていきます。
療育では、子どものことを見えるように代弁したり、実際にやってお見せして、関わりのコツやポイントをお知らせします。それを家庭で取り組んでいただきます。そのため、子どもの為にご自身で取り組みたいと考えている保護者を対象とします。
内 容
1. 療育(個人セッション)
子どもはひとり一人違います。そのためオーダーメイドの療育を行います。子どもの分かりづらさを検査や課題学習によって見立てを行い、指導方法を見出します。それらは、標準検査だけでは見えないため、様々な検査などの見立てを行い、一人ひとりのプログラムを立案し、取り組みます。臨床経験に基づくオリジナルの方法であり、子どもに合った療育技法を取り入れ、本や講演だけでは分かりにくい具体的な関わりをお伝えします。
2. 相談(個別)
本人の発達のこと、学びづらさと指導のポイント、段階による指導方法、
進路、自立に向けての社会性、きょうだいやご家族のことなど
福祉、教育、医療などを考慮した多角的な助言を行います。
3. セミナー(保護者の勉強会)
内容の例:療育講座、先輩の話、金銭教育セミナー、サポートブック作成など
場所は、姫路市総合福祉会館、高砂室、姫路室、ほか公共機関などで行います。
方 法
時間と回数:
親子(個人セッション) 約60分から(月1回 または 月2回)
個別指導(課題学習) 保護者同席のもとにプログラムを提案、実施します
場 所:
高砂室(みどり丘こども園)
姫路室(グリーンパークビル103)
費 用:
入会金、年会費、回数に応じた月謝制
対 象:
幼児を主な対象としますが学齢期は要相談

保護者の経験談より
2 歳から個別療育開始
中学⽣のお⼦さんのお⽗さんとお⺟さん


きっかけ
我が⼦が早々に病院で発達障害と診断された時、私達はこのことについてよく理解していませんでした。そのうち治るものだと思いました。しかしすぐに「治療すれば治る」というものではないことを知りました。このまま放っておくのではなく、「飯の⾷える⼤⼈」に育てなければと思いました。⾃分たちで何とかしようにも、どの成⻑段階で何をしていけばいいのか全く分かりませんでした。
そんな時、橋本先⽣に電話したことが最初のきっかけです。⼀⼈で連れて⾏くというのが⼤変だからと いう理由で初⽇から夫婦で訪問しました。後から思えば夫婦で訪問することにより、療育の考え⽅を共有できたことが⼤きかったように思います。毎⽇の家庭療育は⺟親と取組みました。また教材作りや、休⽇の料理、家庭菜園などは⽗親と取組みました。「療育」は施設で⾏うものではなく、毎⽇家 庭で取り組むものであるからこそ⽇常から⼦供にかける⾔葉、対応など、導き⽅を統⼀できたことが⾮常に良かったと思います。
課題学習
数字100並べ
最初に取り組んだ課題が100並べでした。しかしこれは数字の勉強ではなく、指先をつかい、座って作業を⾏うといった内容を含んでいました。幼児期は座ることができずにすぐに椅⼦から⾶び降りて⾛り出していましたが、その度に連れ戻し、座ることの繰り返しでした。すぐにできるようにはなりませんが、次第に着席できる時間と駒並べに集中する時間が増えていきました。今思い返してみると、親子の関係を築き、学習の全ての基本がこの課題学習に詰まっていると思います。
やっこさん(折り紙)
最初は⾓を合わせて「きちんと折る」ことがなかなかできなかったので、模造紙を正⽅形にしたものを作ったり、⼤きな折り紙でしました。最後に顔を書き込むのですが、その⽇の気分で怒った顔やわらった顔を書きました。これは他⼈の表情を読み取り、コミュニケーションを円滑にする上で後々役⽴ったと思います。⼀⼈で折れるようになってからはプリントが折れるようになり、⼩学校のお祭りの景品としてせっせと作っていました。友達や下級⽣にあげたら喜んでもらえたと⾃分も喜んで いました。
コックさん(絵かき歌)
「棒が⼀本あったとさ…」の歌に合わせて⼿添えで描きました。最初は⿊のクレヨンで書いていましたが、そのうち⼦供の好きな⾊で描くようになりました。ただ絵を描くだけのようですが、その中には直線や曲線を書いたりする意味を持っています。最後は絵がかけるので達成感があり⼦供の好きな課題でした。
タイル算
タイルを数えることで数の概念と10でひとつのかたまりができるということを繰返し練習しました。これはお⾦の計算にも通じ、後々10円⽟ 10枚が100円⽟ 1枚に等しいということに結びつきます。引き算では逆にタイルを⼿でちぎっていくことで引き算が何なのかわかっていったと思います。
とにかく100並べが基本でした。座って⼀つの作業をやり遂げることができないと何もできません。このことが後々の学習につながっていきました。「本当にこれで着席して作業ができるようになるのか?」と疑問に思う時もありました。橋本先⽣の「意味は後から付いてくる」という⾔葉も印象的でした。あの頃はとにかく橋本先⽣の指導を信じて家庭で療育を続けていました。
料 理
偏⾷のひどかった3歳くらいから料理に取り組みました。それまでは、玩具のままごとセットでおもちゃの野菜を切る遊びはしていました。最初はきゅうりを切ることからはじめました。左⼿は「猫の⼿」を教え、⼆⼈⽻織のように後ろから⼿を添えて⼆⼈で切りました。使ったきゅうりは家庭菜園でとれたものです。苗を植え、世話、収穫を⼦供と⼀緒に⾏いました。他にもトマト、ナス、レタス、オクラなども育てました。植物を育てることも⾮常に興味を持ち、⽔やりなどは⼿伝ってくれました。幼稚園の年中までは⽜乳が飲めなかったのですが、乳搾り体験などで⽜乳がどのように出来上がるのかを体験しました。休⽇には⽗親と⿂釣りに出かけて、釣った⿂を⾷べたりもしました。普段⾷べているものがどのような⼯程でスーパーに並ぶのかがわかるようにできる範囲で体験させました。 ⼩学⽣になると「お好み焼き」「たこ焼き」などを⼿始めに加熱を⾏う料理をはじめました。これらは⽕ではなく、鉄板を使うので⼊⾨にはちょうどいいと思ったからです。数字がわかるようになる と、「粉は〇〇グラム」「卵は〇〇個」「キャベツは〇〇枚」「⽔〇〇mL」などの作業を⼿伝ってもらいました。鉄板で少しぐらいの⽕傷はしても⼤⽕傷にはならないので、「熱い」「危険」を学ぶにはちょうどいいと思いました。いろいろな料理にチャレンジしました。料理は包丁を使うだけではなく、卵を割るなどの微妙な⼒加減を覚えるよいトレーニングにもなりますし、量や時間をはかる作業も必要になるので、ぜひチャレンジしていただきたいと思います。⾷べた時に⼤袈裟に「美味しい!」と⾔ってあげると他⼈が喜んでくれることが⾃分への喜びにもなるということがわかり、⼼を育むことへもつながると思います。
からだづくり
散歩をよくしました。⾛り回るのではなく、きちんと⼿を繋いで散歩しました。とはいえ多動性があり、⼿を振り切って⾛り出すことがあるので、なるべく交通量の少ない安全な所を選びました。また、⼤きな声をあげても⼤丈夫なところを選びました。散歩以外では⼩さな⼩川を素⾜で歩きました(キャンプ場では⼤声で叫んでも変に思われませんから)。ケガの⼼配もありますが、⿂やカエルを追いかけ回しました。少し歩けるようになった頃、散歩以上登⼭未満のハイキングに挑戦もしました が、⾳を上げることなく最後まで歩き通しました。我々夫婦がお寺めぐりをするのが好きだったので ⾊々なお寺へお参りに⾏きました。次第に衝動性の強い⾏動が減っていき、今では時刻表を⾒て、時計を読み、電⾞やバスといった公共交通機関で移動できるようになりました。
買い物
幼少期の買い物は⼀⼤イベントでした。当時の我が⼦は⼈が多くて⼤きな⾳楽が流れていているところではパニックになっていました。カートに座らせても⾶び降りようと暴れ、危険でした。かといって⼿を繋ぐと、少し気を抜いた時に振り切ってスーパーやショッピングセンターの中を⾛り回っていました。そのうちにレジでは店員さんにお⾦を渡すところだけをさせると、「最後に店を出るときにお⾦を払う」ということがわかるようになりました。次はコインを握らせ、好きなお菓⼦を⼀つだけ(これは約束)コンビニで買う練習をしました。この時、他⼈の会計中に横からお⾦を差し出すことがあったので、「順番」と「待つ」ことを教えました。レジが空いている時はわざと⼩銭で⽀払う練習もしました。⼩学⽣の低学年ならまだまだこのような光景は微笑ましく、気⻑に対処してくれる店員さんが多かったように思います。⼤きくなってからでは難しかったかもしれません。ただこの頃はお⾦の価値はわかっておらず、商品との物々交換だと思っていたと思います。お⾦の価値を教える為に橋本先⽣に「お⾦カレンダー」を教えていただき、これに取り組みました。働く(お⼿伝い)の対価としてお⾦をもらい、貯まっていく様⼦が⾒てとれるのでゲーム感覚でお⾦の意味を理解できるようになりました。その後、お⼩遣いを与えるようにしました。お⼩遣いは少し考えて使っているようです。使い切ることはまずありません。余った分は貯⾦しているようです。いくらか貯まり貯⾦に余裕ができると、鉄道雑誌、歴史の本や鉄道模型などを買っているようです。「趣味のために貯⾦する」と「ジュース、お菓⼦類を買う」が⽐較的バランスよくできていると思います。最近では⾃分のためだけに使うのではなく、誰かへのプレゼントやお⼟産といった使い⽅もできるようになってきました。料理のところでもありましたように、⼈が喜んでくれることが⾃分への喜びにもなるという⼼が育ったことが⾮常に嬉しく思います。
ふりかえって
お父さん
この⽂章を書くにあたって⾊々なことを思い出しました。幼少期は落ち着いて座って待つことが出来ませんでした。幼稚園の⼊園式では園⻑先⽣が挨拶をしている中、壇上に駆け上がり、⾛り回ってみんなであわてて捕まえたことがありました。休⽇の外出では交代で⾷事処に⼊り、そそくさと⾷事を取っていました。集団⾏動が苦⼿で、幼稚園の運動会では競技に参加せずにポツンと⼀⼈砂場で電⾞のおもちゃを持って遊んでいました。

そんな我が⼦は中学2年⽣になっています。毎⽇の宿題にも⼀⼈で取り組むことができるようになりました。⻑期休みには⾃分で計画を⽴て、コツコツ課題をこなしています。何より中学⼊学後にたくさんの友達ができ、学校⽣活を楽しんでいます。時計を読み、電⾞に乗って学校に通い、お腹が空いたらお⼩遣いで買い⾷いをしたり、休⽇に友達と遊びに⾏ったり…とこれまで療育で培ったことが⾝に付き、⽣きる⼒となっています。今頃になって、毎⽇の家庭療育の⼩さな積み重ねの⼤きさを本当に実感しています。初めて橋本先⽣とお会いしたとき、⼊り⼝で「挨拶してください」と⼊園前の⼦供に指導してくださったのが最初の療育でした。
その後10年は一生懸命でしたが、忘れていることの方が多いくらいです。
そして思い出してみると笑い話になっていることもあります。
「まじめに」「続ける」という考えで始めましたが、頑張り過ぎると10年も持ちません・・・。
療育は魔法の薬ではありません。すぐに効果が出るものでもありません。

お母さん
2歳で発達障害と診断を受け、11年が経ちました。⽣まれた時から他の⾚ちゃんと違って抱っこがしにくかったり、泣き出したら⽌まらないなど苦労、⼼配、不安がいっぱいでした。そのような時に 橋本先⽣と出会う縁をいただきました。橋本先⽣から最初に「⼼を育てること」と教えていただいたことが今でも⼤変印象に残っています。「⼼を育てる」という⾔葉は私達夫婦の⼼にしみる⼀⾔でし た。他の保護者の⽅々と勉強会にも参加させていただき、その度に元気を頂き、諦めることなく継続して家庭療育を続けることができました。
今振り返ってみると、あの時に子どもに寄り添い、一緒に毎日取り組んだからこそ今があるのだと思います。
毎日の家庭療育は本当に大変でした。時には親の方が疲れていることもあります。そんな時は「今日は休息日」と決め、休むようにしていました。
親が元気でないと子どもに付き合うことはできません。
幼児期は一番可愛い時期でもあります。過去に戻ることはできません。時には楽しいひとときや思い出を作ることも大切だと思います。
私は療育に一生懸命になり過ぎたら、「のんき、こんき、げんき」で楽しみながら子どもに寄り添って続けてきました。